心が揺れないクセづけ
常に心が揺れている私。
時々、何があっても動じない人を見ると心から羨ましくなる。そう見えるだけで内心は動じているのかもしれないが、他人に動じている事を悟られないだけでも十分羨ましい。

『心が揺れないクセづけ』の内容
『心が揺れないクセづけ』
著者:植西聰
発行:海竜社
<内容>
「私、緊張しているかもしれない。いや、そうとう動揺している」と意識すると、それがきっかけになって、いっそう緊張感がましていきます。心の動揺がエスカレートしていきます。動揺する心というのは、雪だるま式に、大きくふくらんでいきがちなのです。(引用:本書より)
タイトルを見てこの本に惹かれた。
まさに自分が求めているものそのもの。
私は今でも人と接したり、人前に立つとSADの症状が出る事がある。
動悸がしたり、汗が噴き出したり、手や声が震えたり。
だがこの本はそういった表面的に症状が現れる動揺よりも、他人から見ても分からない心の動揺を中心に書かれている。
・他人にどう思われているか気になる
・孤独になると寂しくて不安になる
そういった人と関わる事で思い悩まないように、「動揺しない練習」をすすめている。
『心が揺れないクセづけ』の感想
全ての項目の文字数が一定していて、2ページで読み切れるのがいい。
ただ逆にずっと読んでいると、淡々とそのパターンが繰り返され、当たり前の分かっているばかりが書かれている為、「そうだよね。分かってる。だけどそれが出来ないから動揺するんじゃないの?」と突っ込みを入れたくなる事も。
ラベリング理論
この本の中に、「ラベリング理論」という言葉が出てくる。
「あの人はこういう人だ」と決めつけてしまう事らしい。
常日頃そういう世の中だと思っている私。特に職場や女性社会では、他人を決めつける事が多いように思う。
この本では、ラベリングされても、例えそれが悪いレッテルであっても真に受けず聞き流せと言っている。
う~ん、言うは易く行うは難し…という気になる。
母親とのコミュニケーション不足は大人になってからのコミュ力に影響する?
これは筆者が、母親は「子供と会話しなければならない」という事に囚われず、自然体で話す事を勧めている項目で書かれていたのだが子供の頃に母親とコミュニケーションが足りないと、大人になってから自分の殻に閉じこもりがちになるとあった。
う~ん、正論なんだと思うけど、どこか違和感がある。
私は子の立場として、現在逆の結果になっている。
子供の頃にあまりに母親と会話をし過ぎて、まるで母親の分身のようになってしまった。母の望む事が手に取るように分かり、母から価値観を刷り込まれたように思う。
筆者に言わせれば、会話は大切だけど感情の押し付けはいけないという事になると思うが、それだと結局母親は自然体で会話するべきだという事に反してしまうような気も。
不満に耐える力
とはいえ、なるほどと思わせらえる内容もあり、私はこの「動揺しない人の共通点」にすごく納得した。
- 楽観的に物事を考える
- 物事に固執しない
- あきらめるのが上手い
- 気持ちの切り替えが早い
分かる。
どちらかと言えば私の父がこのタイプであり、そう言われれば動揺せずに淡々と生きているような気がする。(だけど弱い人間なので、弱さと動揺するのはまた別問題か)
全て読み終え、所々違うなぁと思う箇所はあったものの、タイトル通り「クセづけ」は大切なような気がする。
一人で考え込んでしまうとその事ばかりに囚われ一方しか見られないので、時にはこういった前向きな本で別の考え方を頭に入れる練習をした方が良いのかもしれない。